湘南イラストレーション倶楽部 相浦裕 【ただいま生徒募集中!】

相浦 裕 → 日本人。 長崎県出身。
誕生月日 → 11月23日勤労感謝の日
身長181僉 体重75繊
人間→ O型。温厚。のんびり屋。
好きなもの→ 絵。たまさちゃん。サイクリング。電車に乗ってお酒と美味しい弁当を食べること。ウォールトディズニーの世界。 お好み焼き。寿司。すき焼き。

 たまさ(ちゃん)。
 生年月日: 2010年10月10日。
  Breed: Scottish Fold (三毛猫)。
Eye Color:  Gold。
  性質:  気まま。自分勝手。
  長所:  とてもかわいい。
■P―「日本一周」。先にA〜から順にPまでを読んで下さい。相浦裕です。
 

北九州は筑豊炭田の炭鉱労働者に長年従事していた山本作兵衛さんは定年退職後に今まで炭鉱の石炭を掘り出す労働からその生活面すべてを膨大の数の 「絵」にした。

定年後の毎日は時間があって本人は趣味の領域を超えない範疇でのライフワークだった。

はじめは画用紙に水彩絵の具で描いてい筑豊炭田の無名素人おじさんだった。

その頃この目で見た絵には魂が宿っていて感動せざるを得なかったことを今日まで決して忘れはしなかった。

 

しかし最近たまたま東京の美術館とNHKで山本作兵衛さんという人と絵を紹介していたことを知りビックリ仰天した。あのとき自分の眼で見て高い評価をしていたことは間違いではなかったことがわかった。

今ではこの炭鉱労働の生活を描く絵描きとして日本全国に有名になってしまった。

 

山本作兵衛さん紹介。

明治25年(1892)福岡県嘉穂郡生まれ。山本作兵衛は7歳のころから坑内に入り、13歳で炭坑夫となる。以来昭和31年(1956)まで明治、大正、昭和と3つの時代を筑豊の炭鉱(やま)に生き続けた。その人生はごく平凡なものであり、数多といたであろう平凡な炭坑夫と大差はない。しかし、晩年になっての彼の所業が歴史に新たな1ページを刻むことになる。
「ヤマは消えゆく、筑豊524のボタ山は残る。やがて私も余白が少ない」
昭和30年代になって筑豊の炭鉱(やま)は次々と閉山に追い込まれていく。作兵衛翁が働いていた位登炭鉱も昭和31年に閉山。作兵衛翁63才の時であった。

昭和33年(1958)「孫たちにヤマの生活、作業や人情を書き残して置こうと思った。文章で書くのが手っとり早いが、絵であれば一寸見ただけで判るので絵に描くことにした」 と語り、資材警戒の夜勤を勤めながら夜のつれづれにヤマの記録絵を書き続けていった。

以後、20年あまりの間に膨大な記録絵画と6冊の大学ノートの記録が当時をまざまざと再現している。
やがて生粋の炭坑夫が残した精緻な記録として注目を浴びるようになる。 今だに多くのファンがいるという作兵衛翁の画風には炭鉱(やま)に生きてきた者独特の世界観があり、一枚一枚の絵に或る懐かしさを感じるのは、私たち自身がそこに日本人のアイデンティティーの原型をかいま見るからかもしれない。

「さよならは言わんけん、作兵衛バンザイと言うてくれ」
昭和59年(19841219日、この世を去った。山本作兵衛、享年92

炭鉱記録画家。 日本で初めてユネスコから世界の記憶( 世界記憶遺産)登録を受けた炭鉱画で知られる。以上。 

 

この筑豊炭田を訪問したあと福岡空港から沖縄へ飛んだ。 

                        相浦 裕です。

| 相浦 裕 | - | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0) |









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