湘南イラストレーション倶楽部 相浦裕 【ただいま生徒募集中!】

相浦 裕 → 日本人。 長崎県出身。
誕生月日 → 11月23日勤労感謝の日
身長181僉 体重75繊
人間→ O型。温厚。のんびり屋。
好きなもの→ 絵。たまさちゃん。サイクリング。電車に乗ってお酒と美味しい弁当を食べること。ウォールトディズニーの世界。 お好み焼き。寿司。すき焼き。

 たまさ(ちゃん)。
 生年月日: 2010年10月10日。
  Breed: Scottish Fold (三毛猫)。
Eye Color:  Gold。
  性質:  気まま。自分勝手。
  長所:  とてもかわいい。
■R―「日本一周」。先にA〜から順にRまでを読んで下さい。 相浦裕です。
 

沖縄は自分の古里である長崎の海に似た部分もあり、「ここはいつか来たことがあるような気がするな〜」という錯覚に陥る。

そこで自分と同じように古里を離れて都会とその社会にもまれて、何が悪いわけでもないのに叩かれ潰され捨てられた結果、深く傷つき果てて おかあさんのいる古里へ帰った運転手さんの話は現代社会の象徴の様な気がする。

たまたま運よく経験しないで済む人もいるし、白百合交通の運転手さんに共通した何がしかの経験をした人も数多くいると思う。

白百合交通の運転手さんも最後に頼れる人はおかあさんだった。

「おかあさん」は誰にとっても最後の頼れる存在なんだとあらためて感じた。

 

沖縄から東京へ帰る前に長崎へ寄ってなかったので長崎は佐世保市のお墓にお線香を上げに立ち寄った。

ここでお婆ちゃんのことを思い出した。

ここに眠るお婆ちゃんが生きている頃、長崎の原爆の話をしてくれたのを思い出した。

 

その日は座敷の縁側で猫のタマを抱きながら、長崎原爆投下の暑い夏の日と同じように雲一つない快晴の真っ青な空の日だったとお婆ちゃんは何度も繰り返し言った。

「原爆ば落とされた日はこがん真っ青な よか天気じゃったとよ。」

長崎と佐世保市は汽車で2時間ばかりの距離がある。お婆ちゃんは

「昼間は真っ青な空やったばってん夕方に近づくとだいだい色に変わってきたっちゃん。そうして夜の空は真っ赤になったと。そんときゃわからんもんけん、なんごとじゃろかと恐ろしかったとよ。」

とお婆ちゃんは何気なく話してくれた。

2時間の距離がある地、佐世保からでも原爆投下後の長崎市内の火災が空に反映されて真っ赤になって見えたのだ。

 

長崎の平和公園には平和記念像が右手を大きく天に上げ、左手を横水平にあげて平和を祈っている。この平和公園の記念像あたりが新型爆弾(原子爆弾)投下中心地だが図らずも婆ちゃんの親、親戚が生活していた。

当然、新型爆弾の直撃を受ける形になって両親、家族、親戚、友人知人の全員が即死状態だった。一瞬にしてすべての大切な大切な人々を失い一人ぼっちの孤独になった。

 

それどころか実家の家も柱も何がしかの遺品さえ溶けて なくなっていたらしい。

新型爆弾の閃光が光る瞬間のその前までは

戦時中ではあるがそれなりに ささやかな幸せがあり 生活が営まれていたのだ。

それが実家の家も柱も何がしかの遺品さえ溶けて なくなっていた事実。

なんということか。戦争は酷い。

 

お婆ちゃんは長崎の現場へ確認に行きたくてしょうがなかったが、米軍の放射能調査が実施された数か月間は立ち入り禁止地域になった為、長崎へ行くことは無理だった。

立ち入り禁止解除になった直後にすぐに現場へ行ってみると

「なーも、なーもなかと。以前あった家も柱も家財道具もな〜もなかごとなって途方に暮れたっちゃん。溶けてのーなったとばい。そいけん遺品ば探そうにも溶けてのうなったっちゃけんどげんしょうもなかと。恐ろしか〜。」と話してくれた。

 

ばあちゃんは93歳で亡くなったが いつも話すたびに

「平和が一番よかとよ。戦争はもうよか。こりごりばい。平和が一番たい。」

と繰り返し繰り返し亡くなるまでお婆ちゃんは言い続けた。

 

佐世保のお墓の前で

「お婆ちゃん、向こうでは平和で幸せな毎日を送ってくださいね。」

と手を合わせた。               相浦 裕です。

| 相浦 裕 | - | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) |









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